イメージを身体におとす(8/6)

今日は山口さん、広田さんの日でした。
タオルバレーがなかなか続かなくて、途中で広田さん式「集中」をやったりしました。
そして名前鬼。



つぎは軸を鍛えるワークなど、身体のことを行いました。





後半は、「イメージを身体におとす」ワークをやりました。
まずは手の中に石ころがあるイメージ。
手の中でコロコロして、感触を確かめます。
尖っているかも、丸まっているかも。

次は花びらでやってみます。
ひらひらしていて、軽くて、儚い存在です。
普通に歩くと手のひらから飛んでいってしまうかもしれません(濡れていて手に張り付くというイメージもあるかもしれませんが)


次は円になって、何かを作り出して、隣の人にわたしていきます。
前の人をよく見て、どんな感触のものを渡そうとしているのか、よく観察しましょう。
一周目は同じものを、二週目は受け取ったものを別のものに変換して、隣の人にわたしました。


最後はみんなで一枚の布を持ってみました。(もちろん本物の布ではありません)
みんなで揺らしてみます。みんなで同じイメージを持たなければ、布は破れてしまうのです。


次は、2グループに分かれて、ひとつのグループが言った名詞や形容詞、例えば、洗剤とか海とかおいしいとかセミとかテニスとか、になってみます。





なろうとすると、観ている人へ「説明しよう」という心理が働いて、わかりやすくやろうとしてしまうようです。
しかし山口さん曰く、その気持ちが邪魔だと。
例えば「テニス」になろうとすると、ラケットを持ってテニスボールを打つ真似をします。
「おいしい」になろうとすると、どうしたらいいのかわからなくて何もできなくなってしまいます。
今日のワークは、「テニス」になるのであって、「テニスプレーヤー」になってほしいわけではないと。
人に説明しよう、これが「おいしい」だとわかってほしいと考えると、どうしたらいいのかわからなくなってしまいます。
人にわかってもらうためのものではなく、その言葉を聞いた時に身体に浸透していく何かをそのまま体現してみるということが肝です。
「テニス」と聞いたとき、どういうものが身体に伝わっていくでしょうか?動くなら動く、動かないなら動かない、変化していってもいいのです。
それが本当に「テニス」に見えるかどうか、「テニス」だと伝わっているかどうか?という気持ちで人に見せることを重要視すると、その場しのぎになってしまいます。
他者には理解できなくても、言葉にならなくても、そのものの気分になるというか、気持ちになるというか、そうすることでより本質に近づいていけるのではないか。

今日はイメージを身体に落とす、少し難しいワークをじっくり行いました。

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